ハム小僧の日記

赤裸々に。。基本、エッセイ。

キャバクラ時代と単車

19歳の秋、キャバクラで働いていました。

理由は簡単!


単車が欲しかったから!!


19歳の夏からバイクのために通いだした教習所。

先ずは車の免許が必要だな、と思ったので(車の免許があるとバイクの免許は筆記試験がないから)無事、全て1発で取得。


そのまま日を空けないでバイクのコースに◎

2週間ですんなりと取得出来たので単車を買いに!


教習所で惚れたCB400を新車で購入!!!!

80万強したがキャバクラをしていたので全く痛くなかった!


本当はハーレーが欲しかったけど、真面目に考えると駐輪スペース限られるし、故障したら高いし、速度はあんま速くないし、山道とか大変そうだから安定感のあるCBで!


で、キャバクラの話に戻るが当時はまだバセドウ病じゃなかったからイケイケな見た目だったのよ、だから時給も4千円だったし指名もたくさん入るしドリンクもたくさん飲めたから余裕な生活してたのね。


で、そこで元夫とも出会う訳だが、まあとにかくキャバクラに来るような男性はわたしは本当に嫌だったなあ。。

付き合いで仕方なくっていう男性はチラホラいたが9割、下心が見え見えな変態ばっかだし。


クリスマスの日は強制出勤だったのでアミアミタイツのサンタクロースになったんだけどお尻やオッパイは普通に触ってくるし未成年なのにお酒強要してくるし、偏見もあるかもしれないけど、大概がI.Qの低い男性。


お金を稼ぐっていう心だけでいくと色々な意味で精神的にキツイ仕事だったなあと思います!!!


夜のお仕事をこれからやりたいって方はそれなりの覚悟をもってね!

私はオススメしないYO!



バツがついたことについて

先の記事でも書いたように私は離婚歴が1回あります。

二十歳の時に当時働いていたキャバクラで出会った10歳年上の男性と結婚。

まあ、あれですわ、、出来婚ですよ。


若気の至りの一言に尽きるんだけど、妊娠してまだ3週目くらいの時に稽留流産したのね、それで内心めっちゃホッとした。。。

いや、すごく悲しかったけどほんとのところは安心した。。。。。


相手のことは好きだったけど、まだ二十歳で色々知らないことだらけだし、やりたいことだらけだったからね。

で、3年間の結婚生活で終了。


なぜ終わったかと言うと、リーマンショックのせいでその方が働いていた電気会社が倒産して行き着いた仕事先がなんとヤクザの仕事。


まあ、ヤクザって言っても下っ端の下っ端な位置で薬を売ったり、口座売買したりそういうことをしてお金を稼いでいたのね。

私もコンビニでバイトしたりして生計立ててたんだけど、何回考えても誰に相談しても離婚しかないっていう結果になってモヤモヤ考えていた12月中旬。


遂に口座売買が警察に見付かり、逃亡しちゃったのよ。

連絡もないし、お金もないし、怖いし、寂しいし。


ずっと我慢していた日々だったけど流石にこれはおかしいと思いながらバイトにも行かず、1週間くらい電気も点けず玄関のドアはロックして更に覗き穴にはガムテープ貼って新聞用のドア穴も塞いで暮らしていたらヒョコッと帰ってきて、、、

もう流石にあなたと暮らすのは金輪際無理です。と離婚を申し立ててすぐ離婚しました(^ν^)


それが12月25日のクリスマスの日。。。

あの日のクリスマスから嫌な思い出が私についてくる。。。。


結婚するのは簡単なのに離婚届って本当に色々とめんどくさい手続きが多くって参りましたわ。

結婚するときはうかれているから苦痛に感じないってのもあるだろうけど!

全て1人で手続きしたので無駄に経験値が上がったなぁと当時思いました。

チャンチャン

モデルの仕事

今のハム小僧を見ては全く本当に想像もつかへんと思うけど、ちょいちょいモデルの仕事を若いころはしていました。

まあ、結局はそのころの写真なんて幾度の引っ越しで消えたので証拠も何もないのですが。。。

当時はモーニング娘。がすごく流行っていたからね、だれでも気軽にオーディションできるちゃうか?!って調子に乗っていたんですよ。

で、ピチレモンっていう雑誌に応募してオーディション受けて最終まで行ったのに落ちた日の悔しい気持ちときたらね。。。

 

牛丼屋で激太りして、バセドウ病で眼球突出して麻酔がつかえない体になって歯科治療が出来なかったりで色々ひどい変わりようなので同級生に会うたび未だに別人だなーwとか笑われるのが悲しいが、これもまた人生なのだ。

 

咲いた花はいずれ枯れる。

それがちょっと私の場合早かっただけだ。

だから、広い心をもって生活をしているつもりだ。

なので今の主人には拾っていただいてとっても感謝している。

 

タイトルとそれる話だが本当に今の主人が大好きです。

3つ年下で妹と同い年なんだけど、私より年上みたいな人です。

頭もいいし、動物が大好きだし、いつも私を気にかけてくれるからね。

 

わたし、相当のレベルの捻くれ者でワガママ者で甘えん坊なので扱いにくいはずなのに手玉でゴロゴロやられています。

幸せです。

わたしの見た目は妖怪みたいなのに、それでも好きって言ってくれる主人が本当に大切です。

イケイケ高校生

私のころの高校生と言えば、超ミニスカで120㎝のルーズソックスをソックスタッチで止めて履いて、パカパカケータイで一生懸命作ったホムペって言う言い方のHPにカウンター設置したりキリ番おめ!!とかやったり、毎日毎日プリクラ撮りに行ったり。。。。

なんか、こういかにもな女子高生な暮らしをしていたわけですが。

 

実生活は学校が終わったらソッコー牛丼屋に働きに行って学校ない日は朝から晩まで12時間労働して毎月16万くらいお給料があった女子高生でした。。。

只管に只管に働いて、それでも働きたい日は学校をサボって働いていたなあ。

今では考えられないほど体力がめっちゃあった時期。。

そして牛丼屋のせいでそれまでスリムだったハム小僧は15㌔も増えてしまって以来、未だにそのころの肉が取れないのである。。。。

恐るべし、牛丼。。。。。。。

まあ、1日2回も3回も賄いで牛丼食べてりゃ太るっちゅーねんな。

 

で、高2の時に一目惚れをした美術の先生に猛烈アタックしまくって高校卒業した後、お付き合いをしました。

それが私の中での青春バラ色人生だったな。

時々、今でもあの先生に似た人を見掛けるたびにドキドキしてしまいます。

淡い青春、青春っていいねー。

中坊ハム小僧

中学生になっても陸上部を続けていて県大会とか出ちゃったりして将来の夢はマラソン選手とか調子乗ってたんだけど、お笑いにもハマっちゃって吉本芸人になりたいとかこのころから宣言もしていたり、自分でも気が変わりやすいなあ、山の天気だなあと当時から常々思っていました。

ハム小僧の地元はたいがいが中学卒業まで幼稚園、いや、産婦人科からずっと同じでもうみんな親友みたいな感じだから、これといった面白い話はない。。。。

 

あ、掃除がめっちゃ好き過ぎて美化委員長にまでなってたな、そういや。

美化委員長になれば学校中を綺麗に出来ると思っていたから3年間ずっと美化活動しまくってた。

毎月教室をワックスがけするんだけど、めっちゃ張り切り過ぎて卒業の時の寄せ書きに「ハム小僧と言えばワックスがけの時モップ似合ってた」みたいなことを保健の先生に書かれていた。。。。

もともと、うちの中学は綺麗好きでマイペット習慣

花王株式会社 マイペット [小]ってのがあってそれの詰め替え作業をめっちゃ率先してやってた。

たぶん、あんまないと思う。

学校の掃除の時間にマイペットを使ってまで掃除とか!!!!!

小学生のハム小僧

早生まれだから普通は周りの子より体が小さいはずなのに、なぜかクラスで1,2番目にデカい女子でした。

まあ、女の子はたいてい男子より心も体もませているし育ちが良いから余計なんだろうけど。

 

小学校時代で1番の思い出は2年生の時にちょっと好きだった男子に帰り道、ほっぺたにチューをされたことと、その子がその年に転校しちゃったことと、その子と引き換えに京都からやってきた男子がめっちゃタイプで5年生の時の給食時間の準備中にその男子と2人で話していたらお互いの好きなやつを指さそうぜってなってお互いがお互いを指さすってゆーーー漫画チックな展開を体験しちゃったりね。

 

大人になるとさ、こういうウブな体験ってないよねー。

下心ありきがほとんど!

まあ、それはそれで面白いからいいんだけど( ̄ー ̄)

 

 恋愛以外の話では手芸部に入ったり、陸上部に入ったり。

手芸は低学年からなぜかハマっていてお小遣いから毛糸を買ったり図書館で編み物の本を借りたりしてた日々からの一転、足が速かったので陸上部に。

マラソン大会でいつもいつも3位のハム小僧。

なぜか2位でも4位でもなく毎年3位でした。

幼稚園時代のハム小僧

通っていた幼稚園は制服がかわいくって大人も着れるように販売してくれへんかなって思うくらい好きな制服なんだけど、幼稚園自体もむっちゃかわいいのよね。

建物がピンクだし遊具も変わってるのが多いし。

先月、とあるメーカーの動画でうちの幼稚園が出てるのを知ってすごく嬉しかったー。

 

はい、幼稚園時代は別に書くことない気がするけど一応書くと初恋がこのころだったのとお遊戯会で演じた白雪姫の役割が、おとぼけだったこと。

先生曰く、ハム小僧は普段からおとぼけだから適任って話していたのを今でも覚えています。

おとぼけ。。。

適任。。。。。。

さすが、先生だよね、よく見抜いていらっしゃる。

28歳になった今でも、非常に適任だったと思います。はい。

生まれちゃったよね

そう、1988年2月の大雪の朝に私は生まれちゃったのよね

母が書いていた育児日記に「こんな大雪の日に陣痛こないでほしい」って書いてあって、見事にその祈りを裏切ったわたくし・・・。

生まれる前から、ひねくれっ子ってのがよくわかるね!

 

生まれた時期と好きな時期って関係性があるのか分からないけど、私は冬季loveです。

めっちゃloveです。

雪なんか降っちゃった日はもうテンションMaxですよ。

未だに雪が降る日は母から「ハム小僧の大好きな雪だねーー😊」ってlineが飛んでくるくらい。

 

ウィンタースポーツとかめっちゃ得意だし!

あんまりやってないのにめっちゃ得意だし!!

雪が来る日は白雪姫の如く、めっちゃホッペが赤くなるし!

 

だから、5月中旬から10月って大嫌い。

汗かくのは好きだけどあのサウナみたいな状況が耐えられない。

セミの声、好きだけどセミが生きてる期間大嫌い。

 

今ようやく、肌寒い時期になってめっちゃ幸せ。

はやくマフラーぐるぐる巻きの季節、来んかなー

結局、暗い話になっていたね

いかんせん、、私は闇病みヤミーな人ですのでマイライフというものを書き出すと、どうしても暗い話になってしまう。。。

 

読むのが辛い方は、そっ閉じしてくださいね。

責任はとれません!!!!

 

まあ、あれだ。

じんせいーーーいろいろーーーって言う歌があったよね、歌謡曲で。

 

結局、未来を話すのにも過去は必要項目ってことでした。

 

で、ハム小僧の経歴ってゆーか、簡単な時系列を書いておこうかなって思って。

自分でも書き始めたら面白いかもって思って。

ざっと読みでもしてくれい。

 

 

1988.02 生まれた

1992.04 幼稚園

1994.04 小学生

2000.04 中学生

2003.04 高校生

2006.04 ケーキ屋さんに就職

2008.06 一回目の結婚

2011.03 離婚申し立てる

2014.10 個人事業主になる

2015.04 二回目の結婚

2016.07 閉店する

2016.10 なう

 

こんな感じやね。。。

 

次回の記事は1個1個、紐解いていこうかな。

 

とりあえず、未来について

過去の話をすると、どうしても病み病みな雰囲気になっちゃうので希望と言うか未来の話でもしましょうか。


今現在の私は28歳で既婚・子なしですが来月に看護学校の受験を控えています。


ていうか、つい3ヶ月前までは自営業で個人事業主だった私がどうして突然ナースなんだ?ともう物凄い頻度で聞かれましたが簡単に過去を紐解くとそれは私が9歳くらいの時の日記で頻繁に看護婦さんになりたいって書いてあんのね。

なんでかっていうと、幼稚園の頃から怪我ばっかしていた子で、遊具から落ちて皮膚がパックリ切れて縫ったり、骨を折ったり、階段から落ちて3回くい捻挫したり、バスケットボールが眼に当たり眼の血管が切れたり。。。

それ以外でもなんやかんやと体調を崩し易くて家族や周りの人に迷惑ばかりかけていたのね。

だから、当時から自分が看護婦さんになったら自分で治せるし更に周りの人たちの役に立てるのではないかと。


で、中学の頃からバセドウ病の疑いありって言われていたんだけどずっと放置していたら、とうとう20歳の時に発病しちゃって。


手術しなきゃいけないってなったんだけど、流石に喉にメスをいれるのは怖いし嫌だから放射線治療と内服薬で耐えていたの。

でもね、当時、SNSを見る度に本当に悔しかった。

だって、20歳なんて1番楽しい時期だしノリノリな時じゃない?

体力もあるし、時間もあるし、楽しめることだらけで。


周りを見る度に自分がどうしてこんな状況なのか?と不思議に思う位、悲しかった。

だから、やっぱりナースになって同じ気持ちの人たちの支えになりたいって思ったし、でも、先ずは自分の体を治さなきゃだから結局6年間くらい治療に耐えた。


治療が辛い時に支えてくれていたのは手芸。

バセドウ病になって毎日自宅安静で寂しかったからハムスターを飼い始めたの。

冬場のハムスターは冬眠しちゃうから小学校の時にやっていた手編みを思い出してハムスターの小屋の中に小さいマットみたいなのを編んで入れてみたらハムスターがずっとそのマットの上にいるのよ。

本当にかわいくて愛らしいからその日から色々編んでは入れてみたの。

今度は自分にも、周りの人にも編みたくなって色々編んだ。

病院の待ち時間も編んで編んで、苦しい気持ちが解けていく感じで。


次は刺繍にハマり、パッチワークにハマり、洋服作りにハマり。。。


気が付いたら自分の作品をずっと買いたいって方がたくさんいてお店を出すことになって2014年